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時は、秦の始皇帝より400年程後の事。歴史でいうところの後漢の末期である。
彼こと『劉備玄徳』は、何とか窮地を脱して、母の住む涿県楼桑村へ辿り着いた。
その村は、『桃園の誓い』をたて劉備達が出発をした夢への第一歩の場所である。
《 桃園の誓い 》
『張飛翼徳』は、劉備が黄巾党の賊数名に捉えられそうになった時、劉備の連れていた女性
の家臣であると名乗り出て、劉備を助けその場から馬で逃がしてくれた若武者である。
その時の礼として、劉備は父の形見である剣を惜しげもなく張飛に渡した。
それから数年後、張飛は剣の持ち主であった劉備を探し求めて、この楼桑村へ来ていた。そこで、義勇兵を募集する高札を飽きずに眺めている若者を見つけて声をかけてみた。
「やはりそうであったか!」
感激の声となって周りに響いた。
「随分探しました。会えましたぞ!」
「この剣は、私のようなものが持つ剣ではありません。どうぞ、お返しいたす。」
劉備が漢王室の血をひいていることを知って、
「雲長にも知らせねば!」
「後日、改めて会いに伺う。」
というが早いかその場から立ち去って行った。
数日を待たずに、二名の大男が劉備の家へやってきた。
もう一人の男は、『関羽雲長』と名乗りその夜は質素ではあるが精一杯の歓迎をした劉備と意気投合し、義兄弟の契りを交わすことに・・・。
裏手に桃園がある大きい桑の木の下に祭壇を設け、その儀式を行い、
「生まれた日は別々であっても、死ぬときは同年同月同日であることを願わん!」
こうして義兄弟の契りを結び、義勇軍に参加するための準備を始めた。
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